母の日に知る、花と歌の「共通点」とは?
■5月13日は「母の日」でしたね。
日本でも「母の日=カーネーション」はほぼ定着してきましたが、
この、花に「想い」を託す風習は、
17世紀頃にトルコからヨーロッパ中に伝わったと言われています。
■各国で「花言葉」が生み出されていき、
我が日本の地にこの風習が伝わったのは、明治初期の頃。
花言葉には決まりがなく、
それぞれの花言葉の起源は明確にされていませんが、
日本では言い伝えや、花に携わる人たちが考えたものを起源としています。
そのため花言葉は
国や地域によって異なっており、時代の流れとともに変化をすることも、、、
■しかし、
花言葉が時代とともに変わっても、
「花に想いを託す」という風習は、変わることなく受け継がれています。
実のところ「母の日」も、
普段は照れくさくて言えない「日頃の感謝の気持ち(想い)」を
「花(という存在)に託して」いるのです。
■ところで、
「想いを託す」と言えば、日本人なら「歌」の存在を忘れてはいけませんね(!?)
日本の歴史を語るうえで歌と人々の生活は、
(その時代背景もありますが)古くから切っても切り離せないものでありました。
もちろん、時代と共に形は変化してきています。
しかしながら、明らかに「歌(詩)を詠む」風習があったことからも、
歌が、人々の生活と深く結び付いていたことは間違いありません。
■そんな人の想いを託した歌の中には、「母と子」の歌もありました。
先日の「母の日」を機に、
普段はあまり、改めて考えることのない「母」という存在を意識し、
母と「親子である」という愛情を改めて再認識した、私(みやび)が、
次の歌を皆さまにお届けします!
■(母)「老いぬれば さらぬ別れも ありといえば いよいよ見まく ほしき君かな」
(子)「世の中に さらぬ別れの なくもかも 千代もとなげく 人の子のため」
これは、今から1000年以上も昔の平安時代に綴られた、
「母と子の愛情」を格調高く詠んだ「在原業平(ありわらのなりひら)」親子の歌です。
■在原業平は、
平安時代初期の和歌の名手として北河内に足跡を残した歌人ですが、
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)、喜撰法師(きせんほうし)、
大判黒主(おおとものくろぬし)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、
小野小町(おののこまち)と共に「六歌仙(ろっかせん)」の一人に挙げられている人物、
「伊勢物語」の主人公ともみなされています。
業平は平城天皇の第一皇子阿保親王の第五子で、母は桓武天皇の代八皇女伊都内親王です。
そんな業平親子が交わしたこの歌は、
いつの時代も変わることのない、
親と子が互いを想い合う強い気持ちを、深く感じさせてくれる一句ですね。
■まず、
業平の母の句は、
「老いぬれば さらぬ別れも ありといえば いよいよ見まく ほしき君かな」
(訳)
「年をとればとるほどに、
去らなければならない別れ(死別)が近づき、
いよいよお前に会いたくなるよ」
というような意味です。
そして、
それに対する、息子の業平の返歌は、
「世の中に さらぬ別れの なくもかも 千代もとなげく 人の子のため」
(訳)
「世の中に、去らぬ別れ(死)などなければいいのに。
子供のために、
親には千年も長生きをしてほしいと思っています」
という意味です。
■今も昔も、親子の愛は変わりませんね。
現代においては、
なかなかこのような形で「親子が想いを伝え合う」ということはありませんが、
日頃伝えられない想い(気持ち)を「形」にする、
一年に一度の絶好の機会が「母の日」とも言えるのかもしれません。
■「歌」と同様に、
「花」には「想い(気持ち)を素直に伝える」ことの出来る
不思議な「力」とその「魅力」があります。
「母の日」を既に終えた今日ではありますが、
今一度「お母さま」という存在に、
皆さまも、想いを馳せてみられてはいかがでしょうか!?
「(~に)想いを託す」、何だか心に沁みわたる印象的なフレーズです(笑)
■それでは、【 花楽(かがく)の時間 ~第78時限 】
最後までお付き合い下さりありがとうございました
【この記事を書いた人】
フラワーアーティスト みやび美歩
(アーティフィシャルフラワーデザイナー協会(AFDA)認定デザイナー)
「アーティフィシャルフラワーを 《ツール》から《アート》へ昇華させたい」との想いを持ち、アーティフィシャルフラワーだからこそできる「表現」の探求、個展・ワークショップを開催中。
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